3ヶ月前に投稿されました
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もうTwitterはじめてから一年以上になるけど、今だにTwitterに馴染めない。
馴染めない理由を考えてみて気づいたんだけど、これあれだ。
ネットなのにすごく現実と似た付き合いをしないとダメだからだ。
ネットなんて気に食わなければ、煽ったり噛み付いてもいいものなはずだったのに、
他人の顔色を伺っておとなしくしないといけない感じ。
現実でも付き合いがめんどくさいと感じてしまう非コミュには過ぎたツールだったんだ。
3ヶ月前に投稿されました
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現在のアートには、「働かないで生きていく」ことを欲望する側面があるという気がするんですね。社会に出て働きたくはないけど、他人や社会からの承認は何らかの形で受けたい。
3ヶ月前に投稿されました

特徴的なのは、大人になってから、「仕事中毒になりやすい」ことだという。

 「彼らは子どもの頃から、自己不全感を持っています。セルフイメージが悪くて、劣等感を持っているんですね。自分があまり好きになれないから、仕事をしているときに充実しているんです。また、アルコール依存症になる人の約7割は、仕事中毒なんですよ。昼間、しっかり仕事をして、夜になると、飲み屋で飲んでいるんです」

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37 :学生さんは名前がない:2011/05/09(月) 22:18:12.67 ID:vhdp5nIvO
中高時代、悔いのないように楽しめないと人生崩壊
 
↑これをなぜ伝えようとしなかったんだよ当時の大人達は
挨拶の仕方?
ワイシャツのボタンは第二ボタンまではしっかりしめろだ?
下らねぇこと教えるのにだけは力入れやがって

41 :学生さんは名前がない:2011/05/09(月) 22:36:06.37 ID:qGRNvlcc0
»37 

お前らも小中学校時代は先生や親に褒められる「いい子」じゃなかったか?
おれはそうだった。
授業は真面目に受け、宿題はきちんとやり、掃除もさぼらず、PTAで問題視されるようなテレビは見なかった。
手元にある漫画は毎月定期購読してる小学館の学年誌だけ。
同年代の子供達の間で人気があった少年漫画やアニメはまともに見た事すらない。
近所からも親からも先生からも「いい子」と言われ、大人の喜ぶ子供であり続けた。
そして親から遊んではいけないと言われた友達とは遊ばなかった。
反面、同級生とは会話が合わないこともあり、疎まれていただろうし、思春期の始まりだというのに女の子と接触など皆無だった。
むしろ遊んでる連中をちょっと蔑んで、悦にいっていたかもしれない。
しかし、何の疑問も抱かず、そうすることが幸せになることなのだと一片の疑いもなかった。
高校は地元では比較的頭のいい学校に行った。
しかしクラブ活動もせず(できず)、友達も少ない俺は次第に内向的傾向が一層強くなり、
優等生という地位も自然に失っていった。
なんとか一浪の末、東京の二流大学に進学できたものの、ろくに友達も出来ないまま無為な学生生活を過ごした。
結果、コミュニケーション力も行動力もない俺は就職に失敗。
地元に帰って、職を転々として未だフリーター生活。
地元周辺を歩いていると、小中時代の同級生に出くわすことがある。
もちろん挨拶などしない。向こうはこちらをロクに覚えてもいないだろう。
当時は不良のレッテルを貼られていたような奴らが、奥さんや子供を連れて幸せそうに買い物をしている。
立派な家庭人として、社会人として暮らしている。
それに比べて俺は何なんだろう。
定職ももたず、結婚はおろか恋愛経験すらない。
かつて禁止されていたゲームやアニメが今の生きる支え。
かつて読んではダメと言われていた劣悪図書が部屋に溢れている。
俺は幸せになれるはずの優等生ではなかったのか?
親は先生はそうなるために俺を褒めてくれていたのではなかったのか?
誰が悪いのか?親か?学校か?社会か?それとも俺か?
両親はそんな俺に何も言わない。俺も何も言わない。
ただなんとも言えない閉塞感と劣等感と後悔だけが俺を支配している。

42 :学生さんは名前がない [sage]:2011/05/09(月) 23:13:53.12 ID:HiOAAkVs0
»41 
やめろ

43 :べんじー ◆Sq2ccPJJH. :2011/05/09(月) 23:26:47.88 ID:uleogm+40
»41 
このコピペは日本の教師全員が音読すべきレベル

45 :学生さんは名前がない:2011/05/09(月) 23:36:18.43 ID:wTD+gQdu0
»41 
久々に泣いた

47 :学生さんは名前がない:2011/05/09(月) 23:56:39.89 ID:rIqo4oNpO
»41 
こんな破壊力のあるコピペがあったとは…

中高時代非リアだった為に青春コンプになり、街などで楽しそうにはしゃいでいる中高生を見ると動悸が激しくなり胸が苦しくなる大学生 (via nagas)

親や教師に叱られるようなことを、それでもこっそりやってみるような意欲と冒険心が人生には必要だ、なんて親や教師は教えてくれるはずはない。本能みたいなもんだな。

(via myk0119)

それ全部他人のせいにするの?

(via h-yamaguchi)

少なくともこのコピペの主体は文章の範囲において”他人のせい”にしてないだろ

(via yaruo)

2011-07-05

(via quote-over100notes-jp)

3ヶ月前に投稿されました
最悪なのは、外向的な人々が、私たちに苦痛を与えていることを自覚していないことです。時々、私たちは、彼らの「98%中身のない話」による霧に囲まれて苦しくあえぎ、彼らが自分自身にも耳を傾けていないのではと思うほどです。それでもやはり、私たちは我慢して平然を装います。なぜならば、外向的な人々が書いたに違いない礼儀作法の本によると、冗談を言うのを拒否するのは失礼で、会話が途切れるのは気まずいことと見なされているからです。私たちは、いつの日か、私たちの社会的身分がより広範に理解され、「内向的な人々の権利」運動が開花し結実し、次のように言うことが無礼にあたらなくなることを夢想するほかありません。
「私は内向的な人間です。あなたは素晴らしい人だし、私はあなたが好きです。でも、今はどうかおとなしくしていてください」
3ヶ月前に投稿されました

八百屋さんで売っているのが野菜、果物屋さんで売っているのが果物?そうではありません。

野菜は「食べられたくない」、果物は「食べられたい」という違いがあると言うのです。

果物は動物に美味しく食べてもらうことによって、果肉は消化されてしまいますが、種は糞と一緒に新しい土地に移動することができます。これは、生命を維持しようする巧妙な仕組みになっているのです。確かに果物の種というのは食べても消化されず、それがまた種を殖やしていきます。

一方の野菜は、食べられたくないので毒を持っています。独特の苦みやえぐみは、蓚酸(しゅうさん)と呼ばれるアクです。ほうれん草は茹でてアクを取る、きゅうりは塩もみにして周りのトゲとアクを取っていく。野菜を効率的に消化するにはひと手間かけることが必要だということです。豆の場合も生だとレシチンという毒があってお腹を壊す。だから煮て食べないといけないのです。

それぞれが生命が生き残るための理にかなった戦略なのです。

3ヶ月前に投稿されました
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ブログやTwitterで人の意見を右から左に流しても、自分のブランドなんて作れない。自分自身で取り組んでいること、自分自身で生み出したものを発信しなければ、自分の価値は上がらない